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岡本太郎初心者が太郎さんの仕事論に触れてみた。

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岡本太郎の仕事論(日経プレミアシリーズ)という新書を読んでみた。

「仕事論」と書いているからには、いわゆる「ビジネス書」「ハウツー本」的な内容を多少なりとも期待したわけだが、さて・・・。

私は、「太陽の塔」が大好き。
いわゆる、20世紀最大の国家イベント「大阪万博」は、私が生まれる前の歴史的な話だから、基本的に全く実感はない世代。
しかし、吹田の万博記念公園に行くと、必ず「太陽の塔」を見る。
そして、何度も見ていても、何度通っていても、どれだけよく知っていても、実際に「太陽の塔」の現物を見ると必ず圧倒される。それが、何度目だろうと。

「この塔は、何かを語りかけてくる。大きな質量を持って・・・。」
子供ながらに公園で遊んでいた時も、学生時代に見に行った時も、常に思っていた。
この「意味不明なモニュメント」になぜか命が宿っていた。(そう感じていた。)

でも、実は、作者である岡本太郎という人物自体はよく知らない。

知っているとしたら、「太陽の塔」を作った人、TVでよく見かける「芸術は爆発だ」のおじいちゃん。
幼少期の認識はその程度。

太陽の塔という「モノ」はとても好きだったけど、だからと言って、岡本太郎という人物そのものには大して興味はないまま年を重ねた。

しかし、なんの気まぐれか、ちょっと岡本太郎を覗いてみたいっていう気分になったから、上記著書を買ってみた。
(それと、たまたま入ったブックオフで安かったから、という理由もある、笑)

おそらく、岡本太郎は、私より上の世代では知らない人はいないだろうし、若者の中でも根強いファンが居るのは知っているので、ファンでも何でもない私が岡本太郎を語るなんてあまりにもおこがましいだろうが、あくまでも「この本の感想文」を書き留めておきたいから書く。

本題の「岡本太郎の仕事論」

この本を、もし、仮に、万が一、「ビジネス書」として読んだとしたら。

はっきりって、相当な「トンデモ本」ってことになると思う。

マーケティング・ブランディング・ランチェスター戦略・ブルーオーシャン戦略・UX・フィージビリティースタディーなどなど、よくあるビジネス用語は、すべて完全にひっくり返される。

たとえば、最近流行りの「フィージビリティー・スタディー」。

「プロジェクトの実現可能性を事前に調査・検討すること」(Wikipediaより)
実に合理的かつ戦略的で、理にかなったマーケティングツールだと思う。
プロジェクトの実現可能性を調査・分析し、プロジェクト遂行の綿密な計画を立てるための重要なデータを生成する。

しかし、岡本太郎ならこうなる。

「可能性が高いからやるのではなく、やりたいから、やる。実現可能性が低いからやめるのではなく、やるべきなら、はじめる。大きなビジョンを掲げ、道筋を示して、エネルギーを集める。」

と。

たとえば、これまた今流行の「セルフ・ブランディング」。

(自己プロデュースともいうのかな。)
巷のマーケターは、こぞってこの言葉を使っている。
そして、日々、どうやって自分・自社を「商品化」「ブランディング」するか多くの人(いわゆる意識高い系?)がセミナーを受講したり、勉強をし、実践をしている。

しかし、岡本太郎ならこうなる。

「自分自身の商品価値に全く頓着していない。どうすれば階段を上れるのか、何をすれば価値をつくれるのか、といったことに興味がない」

ウイスキーを買ったらついてくるノベルティー(おまけ)を作った時、周囲から猛反発があったそうな。
「そんなことをしたら、「私はタダでバラ撒くオマケを作る程度の作家です。」と喧伝するようなものだ、そんな仕事は受けるな」と。

しかし、太郎はいう。
「タダで何が悪いんだ?タダなら誰にでも手に入る。家に帰って、これで一杯やって、嬉しくなる。それのどこが悪いんだ。」

セルフブランディングなんて糞食らえである・・・。

しかし、私はこの精神はソフトウェアのオープンソースコミュニティーに通じるものを感じた・・・。(当時としては実に先進的な考え方を持っていたのだろうと想像する。)

昨今、「お友達価格で仕事をしてはいけない。」「無償は悪である。」的な論調がクリエイター界隈からよく聞こえてくるが。

おそらく、岡本太郎的には、「全くバカバカしい」話なのだろうと思う。
(50年前ですら、そう言われたことだろう。)

また、彼の「日本人観」にも全く頭が下がった。

「日本人の価値基準は二つしかない。西洋的近代主義と、その裏返しとしての伝統主義だ。」
「右手にモダニズム、左手にわび・さび」

これを、彼は45年前に語っている。
実に耳が痛くなった・・・。

なぜなら、日本人のこの価値観は、2014年末という今においても、おそらく何も変わっていない・・・。

また、彼は同じく45年前にこうも言っている。

「日本人に今もし欠けているものがあるしたら、ベラボーさ、だ。チャッカリや勤勉はもう十分なのだから、ここらで底抜けなおおらかさ、失敗したって面白いじゃないかといういうくらい、素っ頓狂にぬけぬけした魅力を発揮してみたい。日本人の精神にもそういうベラボーな広がりがあるんだ、ということをまず自分に発見する、今度の大阪万博が、新しい日本人像をひらくチャンスになればうれしい。」

「失敗に寛容」

彼は、そういう日本人像を期待し大阪万博をプロデュースしたそうだが、もう2015年になろうという今、やはり、日本人像は変わっていないように思う・・・。(良い意味でも悪い意味でも)

起業やスタートアップ界隈、そして就職という分野では、「失敗に寛容な社会」という話がここ最近ようやく言われだしてきた。
ただし、まだ浸透しそうな気配はあまりない気がするが・・・。
(就活に失敗して自殺する若者は、後を絶たない。)

それにしても、45年も前にそんなことを語ったら、多くの日本人が目を剥いたに違いない・・・。

彼の生き方はパンクやロック、ピッピーに形容されることもあるが、私にはむしろ、今でいうところの「社会起業家」に見えてしまった。
壮大な社会起業家。
彼は、本気で日本を良くしようと考えていたに違いない。

なんというか・・・、この本のページ数は、200ページ少々のさらっと読めてしまう本なのだが、なぜか・・・書き出していくとキリがない。
つまり、色々とたくさん共感してしまったということなのだろうと思う。

なるほどね・・・。
私は、恥ずかしながら、岡本太郎という人物を全然知らなかったけれども、たった一冊の薄っぺらい本を読んだだけでこれなのだから、多くのファンを魅了するのも当然なのだろうなぁ・・・。

しかし、岡本太郎道を行くには、中途半端な気持ちで行くことはできないことも理解した。

すべての責任を一身に背負い、人生を賭けられる覚悟があれば、おそらく、巷のマーケティング本もビジネス本も全て必要ないだろう。
すべてが非本質的であり、表層的であり、言葉だけのマッチポンプであり、実にくだらないものとなる。

そして、おそらく成功する。
(才能ではない、覚悟である。)

が、そこまで壮大な覚悟を背負えない私は、今後もマーケティング本を読み続けなければならないのだろうと思った。

しかし、一つ。
彼の真似はできないまでも、この本を読んで改めて大切だと思ったことがあり、それを常に自分に言い聞かせながら歩いて行こうと思う。
それは、一時の利益や目先の評価にとらわれて、自己の虚飾や他人評価の獲得活動に躍起になるよりも、本質を見、「愚直に実行し続けること」。
結果、それが真にクライアントの利益になるのであり、本当の意味での「評価」を獲得することになる。
実に、当たり前のことなのだが・・・。

最後に引用。
太陽の塔について。

「あんなものを作って欲しいなどと誰も頼んではいない。万博運営には必要ないし、立っている意味さえわからない。壮大な無駄という他ない代物だ。しかし、だからそこ祭りのシンボルになり得た。だからこそ芸術であり、だからこそ残った。」

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