「書評」カテゴリーアーカイブ

ユニクロ柳井正さんによる「経営の根本」を知る本

すごく久々にビジネス書

フリーランスの共同体でゆるくやっていたプロジェクトが思いのほかビジネスとして需要があって、色々な会社さんからお声がけをいただくようになったため法人化した。
そんな法人化を私達以上に喜んでくださった人生の大先輩から「これを読んでおくように」とプレゼントされたものが、ユニクロで有名な柳井さんの著書「経営者になるためのノート」。

2015年に出版されてからベストセラーかつ長年愛されているロングセラーな「経営者向けのバイブル」らしい。
(Amazonでもベストセラーになっている)

しかし、正直言うと、20代前半くらいはこういうビジネス書をありがたがって貪るようにたくさん読んだけど、色々と読んでいるうちに結局言いたい事はどれもこれも似たり寄ったりだったり、精神論ばかりだったりしてそのうちほとんど読まないようになってしまって久しい。

とはいえ、尊敬する大先輩から頂いた大切な書籍なので、プレゼントされた翌日にとりあえず「目次」くらいは目を通しておくかと、何の期待もなくパラパラとめくり始める。(すみません・・・)

目次をザッと眺めながら思った。
「個人事業主(フリーランス)や小さな会社とはいえ、曲がりなりにも『自分で経営』をやってきて、これまでの『経験』として自分で獲得してきたものが、この本の目次に網羅されている。」

一介の名も無き人間としては、非常に傲慢な言い方かもしれないけど。
もしかしてビジネス界の巨人「柳井」さんの考えと私のこれまで培ってきた考え方は共通するのではないかと直感し、「答え合わせ」をしなたくなりしっかりと読み始めることとなる。
(もしくは、違う答えを求めて・・・。)

そもそも「経営」とは何なのか

「経営」とは実行である。

「経営者」とは何か「経営」とは何かを本書の冒頭で一言で表現されている。

経営者とは成果をあげる人である
経営とは実行である

確かに最近はMBA等含め「経営を科学」する学問はたくさんあり、研究・分析も進んでいる。
しかし、これらのビジネス理論を身に着けても、実行ができない人は非常に多くいる。
(というか、実行できない人のほうが多いのではないのだろうか?)

私の大好きな言葉に、
道を知ることと道を行くことは全く違う
という言葉がある。
ハリウッド映画「Matrix(マトリックス)」の救世主ネオの師匠モーフィアスの言葉である。

もちろん道を知ることはとても大事でありそれをおろそかにしてはいけないのは当然。
しかし、道を知ったところで実際に道を進んで行くためには「道の知識」とは全く別の知識・技術・気力・体力・経験が必要だったりする。
(どれだけ経営分析や企画が上手くても、実際にチームを動かせるかどうかはまた別のスキルが必要とされるように)

この本は、「道を知る」ための本ではなく、「道を進む」ための「柳井さんの経験知」が共有された書籍だと感じた。

そして、柳井さんはこの「経営に必要な力」を大きく4つにカテゴライズしてそれぞれの力について解説。

  • 「変革する力」(イノベーターの顔)
  • 「儲ける力」(商売人の顔)
  • 「チームを作る力」(リーダーの顔)
  • 「理想を追求する力」(使命感に生きるものの顔)

おそらく、最近のスタートアップやベンチャー経営者などは、否が応でも(すぐにでも)これら4つの力を求められているのではないだろうか。
(ベンチャーキャピタルや投資ファンドなどは経営者のこの辺りをしっかり見ているのではないかと思う。)
そして、時代の変化が非常に速い昨今、大手企業においても経営層(主要社員にも)にこの4つの力が必要な時代に入っているかと思う。

以下、復習と自戒のために、本書の目次と対応するキーセンテンスのみを拾いあげてみる。
(キーセンテンスだけだからサッと要点を見返すには最適。自分の主観はあまり入れず、全体を書き出してみた。)
ちなみに、こういう書籍は「その結論に至る理由」がかなり重要であって「なぜそうなのか理解・納得することが大切」なので、理由付けもちゃんと拾うべきなんだけど、流石に全部書き出せないので理由は端折って結論だけ羅列した。
(理由を知るためには本書を購入すべし)

変革する力

目標を高く持つ

イノベーションを起こすためには、高い(非常識な)目標を掲げそれに挑戦することで顧客が創造される。

常識を疑う。常識にとらわれない

会社の成長を妨げる最大の敵。それは「常識」。
業界は過去、顧客は未来、ライバルではなく顧客に集中する。そのためには常識(過去の遺物)に囚われていては顧客(未来)は創造できない。

基準を高く持ち、妥協とあきらめをしないで追求する

仕事の基準を高く持つこと。特に「質に対する意識」。
「自分なりの基準」では意味がなく、「お客様が本当に喜んでくださる基準」である必要。

リスクを恐れず実行し、失敗したらまた立ち向かう

安定思考で安定成長している会社は無い。
リスクを取る会社は「現実を直視していない」と揶揄されがちだた、安定志向の方がよほど現実を直視していない。

厳しく要求し、確信をついた質問をする

通常、普通に雇われて働いている人に「顧客を創造する」という概念はない。
だから、顧客の創造を考えてもらうような質問をきちんと投げかける必要がある。

自問自答する

「自分はできている」と思わないようにする、そして、自問自答を続ける者にだけ優れたアイデアが生まれる。
アイデアは突如として閃くものではない、真剣かつ日常的な自問自答のプロセスからしか生まれない。

上を目指して学び続ける

経営者は「実行」に活かしてこそ学びの意義がある。
「実行」に結び付けないと意味がない、そして実行を通じてまた学ぶ。

儲ける力

お客様を喜ばせたいと腹の底から思う。
MBAの教科書には「会社は誰のためにある?」という問に対して「株主のため」と書いているだろうが、そうではなく、会社は「お客様のため」である。

あたり前のことを徹底して積み重ねる

地道なことを徹底してやる。当たり前なことを当たり前に実行してこそ、日常にある課題が見え未来に繋がる。

スピード実行

スピードの重要性がますます高まっている現代、タイミングがズレたら優れたアイデアもすぐに紙くず同然。
「すぐやる、必ずやる、できるまでやる。」

現場・現物・現実

頭の中だけで経営はできない。
分析した数値だけに頼って指示を出すのではなく、現場・現物・現実に入り一緒になって解決する。

集中する

市場は自信がないものを簡単に見抜く。
自信があるものに集中し、中途半端なものは捨てる勇気。

矛盾と戦う

「できない」ではなく矛盾と戦って、何とか解決策を見出す。そこに素人ではないプロとしての「付加価値」が生まれる。

準備する。しかし固執するのは計画ではなく、成果である

成功がイメージできるまで考え抜くこと。ただし、計画に陶酔し計画に固執するのは本末転倒。

チームを作る力

信頼関係を作る

経営は1人では出来ないチームで行うもの。
チームで大切なのは信頼。
信頼関係の基本のキは、「言行一致」と「首尾一貫」である。

全身全霊。100パーセント全人格をかけて部下と向き合う

部下や仲間が納得するまで100%全力で関与する。

目標を共有し、一人ひとりの責任を明確にする

目標の共有はしつこいくらいに。
「1日のうち何回も会社が目指す方向について話して、自分自信で嫌になった」by ジャック・ウェルチ
名経営者ですら目標共有に心血を注ぐ。

任せて、評価する

自分の仕事だと思ったとき、人は頑張る。

期待し、長所を活かす

期待をすることは、メンバーに成果を要求する人の義務であり責任。

多様性を積極的に肯定する

当たり前だが人間は1人1人違う。
日本人は違いを受け止めるのではなく、排除する方向に行きがち。
人は個性だけではなく、それぞれ今ある事情も違うということに心を配る。

勝ちたいと誰よりも強く思い、自己変革を続ける

メンバーを鼓舞する前に、リーダー自身が先頭に立って挑戦することが重要。

理想を追求する力

経営者にとっての使命感

社会から認められている会社はしっかりとした使命感に基づいて経営されている。

あるべき使命感

社会に貢献できる企業だけが生き残っている。

ファーストリテイリングの使命と、心に留めてほしいこと

ファーストリテイリングは、すべてをお客様都合で考える経営。

使命感がもたらしてくれるもの

使命感があれば、1章から3章に示したものを自然な形で行動化できる。

使命感の実現を脅かすものと戦う

自己都合、強者の論理、横並び、マニュアル思考、官僚主義などを招かないためにも使命感は意識的にマネジメントする必要。

危機に際しての経営者の行動

危機を想定しておく。

理想企業を目指して、人生と対決するように生きる

理想や未来への希望を強く持って経営してほしい。

最後に

以上、「経営者になるためのノート」の各項目の結論だけをメモした。
おそらく色々な見方があると思う。
特にこう言った本は、自分が置かれた立場で大きく見方も評価も変わるもの。
経営や起業などをした事がない方にとっては、「立派な事を言っているけど理想論に過ぎないよね」とか「リアルな感覚としてはよく分かんないな」と言う感じだろうか。
「駆け出し経営者」だと、「今まさにそこで壁に当たってた」「やはりここはそうだよね、迷いが確信に変わった」という感想を持つだろうか。
「ベテラン経営者」なら、「書いていることの9割以上当たり前でしょ」という感じかもしれない。

また5年後開いてみようと思う。

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生物は、なぜ死ななければいけないのだろうか?

アポトーシスという生物学の言葉を知っているだろうか?

個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死

by wikipedia

ヒトはどうして死ぬのか―死の遺伝子の謎」(幻冬舎新書)
by 田沼 靖一

人間の生死に関して、哲学的アプローチをする書籍は非常に多いですが、この書籍はあくまでも科学的アプローチによる生物の生死をテーマにしている。
特に、アポトーシス(細胞の自死)の側面から、生物学・化学・医学での応用事例を挙げ、アポトーシスというDNAにプログラムされた自動死亡装置が、ヒトに死を与える役割を果たしている事を解説。

こういう科学的な本というのは、たまにしか読まないのだが、この書籍のような「生命の本質」や「生命の神秘に迫る本」を読んだりすると、世の中にある様々な事象が大したことではなく、むしろ陳腐な物にさえ思えてしまうのは、よくある事である(笑)

しかも、哲学書での抽象的概念を使った生と死の空想ではなく、科学的(細胞学的)に説明をされてしまうと、グサッと心に突き刺さる物があるね。

また、生物学書や生命哲学書では、ほぼ定説(?)となっている「性」と「死」についても書かれている。

簡単に言うと、

地球上に生命が誕生したとき、「死」(特に自然死)という概念は存在しなかった。

単細胞生物は、細胞分裂を繰り返し、常に増え続け自然死(寿命)に至る事はない。
つまり、永遠に生き続け、死なないのである。
(もちろん、外部環境からの圧力による「事故死」は存在する。)

しかし、生物がオスとメスという「性」を獲得したとき、そこに初めて「死(自然死)」という概念もセットで生まれる事になる。
なぜ?という問いは、色々な書籍にも書いているし、この書籍にも平易な遺伝子工学的記述で解説してあるので、割愛。

それにしても、結局生物の話って最終的に「タンパク質の構造」の話でしかないっていう所は、ある意味、生物という存在の「はかなさ」というか小ささを感じてしまう。

生物は無数の細胞で構成されていて、この細胞の死によって、生物も死に至る。
そして、この細胞にはすべて、遺伝子的に自殺するようにプログラムされている。
この細胞が自動的に死ぬメカニズムをアポトーシスと呼ぶ。

人がアポトーシス(細胞自死)を制御できる可能性はあり、アポトーシスを制御できるようになるとほとんどの病気を治せるようになり、そもそも不老不死も不可能ではなくなる。(倫理的はさておき)

医学的具体例としては、死なない細胞「がん細胞」と脳の細胞が死んでしまう病気「アルツハイマー」についてさらっと書かれている。

例えば、ガン細胞も細胞の一種である。
なので、本来なら不要な細胞は正常にアポトーシスで自滅するはず。
にもかかわらず、ガン細胞にはアポトーシス信号が何らかの不具合(タンパク質の構造)で出なくなってしまって細胞が自死することなく、増殖しつづけることになる。

もし、このガン細胞にアポトーシスシグナルを送れれば、がん細胞を切除することなく、正常な細胞と同じように自死していってくれる。

※つい最近、東京工科大学が、ガン細胞のアポトーシスを誘導する核酸の発見をしたらしい。
東京工科大、がん細胞にアポトーシスを誘導する人工核酸を発見

逆に、アルツハイマーは、本来ならアポトーシスしないはずの正常で現役細胞がアポトーシスを異常にはやく引き起こしてしまい、脳細胞が予定よりも早くどんどん死んでいく病気。
これは、ガン細胞とは逆に、アポトーシスをしないようなシグナルを送る事で、細胞の死滅を防げる事になる。

このように、本書はアポトーシスの側面から、細胞の生死を解説し、細胞の生死から全細胞が構成するヒトの生死について解説するという構成をとっている。

ちなみに、内容自体は、あまり深く掘り下げずいたって入門者向け。
生物学を知っている人にとっては、物足りない内容だと思う。
生物学を知らない私ですら、若干の物足りなさを感じた。

それにしても、やっぱり理系はロマンがあるなぁ〜。(笑)

とりあえず、一般教養としてこの程度の知識は知っておいた方が良いと思うので、
一読をお勧めしたい書籍です。

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最も有名な恐竜「ティラノサウルス」は本当にすごかった

私達にとっては気の遠くなるような遠い遠い過去の話。
私達人間が今生きている母なる大地「地球」に、人類の歴史を遥かに超える長い時代を生きつづけた動物である恐竜。

先日、「大人のための『恐竜学』」(著:土屋 健 監修:小林 快次 祥伝社新書)を読んで、「やっぱり、鳥は恐竜だった・・・。『恐竜学』」という記事を書いたけれど、その後も恐竜熱が収まらず。
長期間この大地に息づいていた彼らについて、大人の視点でもう少し深く知りたくなり、さらに恐竜本に手を出してしまった・・・。

今回読んだのは、「ティラノサウルスはすごい」という、実にシンプルかつ力強いタイトルの新書。

ちなみに、前回の「大人のための恐竜学」と同じタッグ、小林博士が監修し土屋さん著。
ある意味で、ティラノサウルスを主人公にしたスピンアウトバージョン。

・ティラノサウルス入門

前作「恐竜学」の書籍中に、
「数ある恐竜の中にあって、ティラノサウルスだけは特別。」
「何千種類といる恐竜は、基本的に、肉食恐竜と植物食恐竜(草食竜)に2つに分類される。が、ティラノサウルスだけは、肉食恐竜という分類を超えて、『超肉食恐竜』に分類されることもある。」

など、ティラノサウルスだけは他の恐竜とはかなり異質な存在であるような書き方がされていただけに、前作が伏線であったかのように本作。

本書の総論としては、もちろん「ティラノサウルス」だけに絞った話。
そして、子ども視点での「かっこいい」とか「強い」「大きい」という抽象的な話ではなく、大人視点で「データ分析によって裏付けられた」論証や考察を、非常に分かりやすく解説してくれているので、生物学的にティラノサウルスを理解する入門書としてオススメ。

ティラノサウルスは、私達と同じ地球上にいた(いる)生物・動物として、具体的にどのような身体能力を持ち、どのようなライフスタイルを持っていたのか。
そしてどのような経緯・進化によって過去に類を見ないこのような強烈な生物が生まれたのか・・・。

・恐竜の最終形態「ティラノサウルス」

そもそも、恐竜は古い順に「三畳紀」「ジュラ紀」「白亜紀」というおよそ1億5000万年間存在していた。
今西暦は2000年ちょい。
人間が文明を持った超初期が約1万年前くらい。

ということは、大体その1万5000倍の長さを恐竜は生きた。

その長い長い恐竜の歴史の中において、ティラノサウルスは「白亜紀の最後の最後」に登場している。
つまり、恐竜の歴史の中でみると絶滅寸前の「最後の恐竜類」。
進化論的には、恐竜の歴史上もっとも進化した「最終形態」がティラノサウルスだったという事になる。
(恐竜が絶滅しなければ、もっと進化しただろうけど。)

ドラゴンボールやポケモンじゃないですが、
ティラノサウルスが、「進化系の最終形態」だったという事実だけでも、何やら「すごそう」な予感はする。

ちなみに、ティラノサウルスが現れるもっと前である「ジュラ紀」の恐竜の覇者は肉食恐竜の「アロサウルス」。

このように、ジュラ紀はアロサウルスが生態系の頂点として何千万年も君臨し続けることになるのだが、アロサウルスとティラノサウルスは生物学的には遠いらしい。

つまり、アロサウルスはティラノサウルスの先祖ではない、と。

・圧倒的な肉食性能

恐竜史上だけでなく「地球の歴史」から見ても、ティラノサウルスほどの肉食性能を備えた生物はいない。
その特徴として・・・。

1.凄まじいあごの破壊力

ティラノサウルスの絵を見たことがあれば、「あんな大きな口と歯を持っていたら、当然噛む力もすごいでしょ。」と思うわけだが、奴らの破壊力はその一般的な想像力を軽く超えてくる。

まず、現代の肉食獣の代表格といえば、ライオンやトラ。
奴らも強烈なあごのチカラを持っていて、自分と同じくらいの大きさか、自分よりも大きい獲物を仕留め、肉を削いで食べる。
さすがの肉食性能である。

しかし、ティラノサウルスは違った。
確かに、ライオンやトラのように、自分と同じ大きさか、それ以上の大きさの獲物を強力なあごで仕留めて・・・。
その大きな獲物を、「骨ごと粉砕して食べる」のである。

ジュラ紀の覇者アロサウルスですら、獲物を骨ごと粉砕して食べたりはできなかった。

ティラノサウルスのあごのチカラは、アロサウルスの6倍もあったとの研究データがあるらしく、その顎のチカラの凄まじさは、想像をはるかに超える。

なのでティラノサウルスの糞の化石にのみ「骨粉」が混じっているらしい。
このような恐竜(および生物)は、まさに唯一無二。
(人間が小魚を骨ごと食べるのとは訳がちがう。)

2.圧倒的な嗅覚

ティラノサウルスの頭蓋骨の研究から、嗅球と呼ばれる嗅覚を司る機関がとても大きい事が分かってきた。

しかも、その嗅球は、これまでのどんな肉食恐竜よりも大きいと推測されている。

つまり、ティラノサウルスは、アロサウルスなどの他の肉食恐竜よりも嗅覚が圧倒的に優れており、夜など目が効かないところでも、ハンティングができたのではないかと言われている。

暗闇でも簡単に獲物を嗅ぎ分ける嗅覚。おそろしい。

・超肉食恐竜

恐竜史を見ても常軌を逸したこれらの肉食性能や、その巨体や成長速度など、ティラノサウルスは他の恐竜を明らかに圧倒する。
なので、多数いる肉食恐竜の中でも、ティラノサウルスだけが「超肉食恐竜」と学術的に分類される事があるらしい。

なぜ超肉食恐竜なのか、本書には他に沢山書かれているが、全部は書ききれないので、ほんの一部だけをメモ的に書いてみた。

・まとめ

ティラノサウルスは、ただ単純に映画やマンガ・アニメなどで強い恐竜として描かれるキャラクターというイメージだけではない。
実際に地球が誕生してから現在に至るまでとんでもなく長期間を眺めてみても、ティラノサウルス以上に生態系の頂点に君臨した生物はいないわけである。
恐竜という枠組みを超えて、全生物的にも突出した存在だったのが、ティラノサウルスだったといえる。

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