ギズモードの記事を読んだ。
「これは期待! Twitterがツイート投稿後でも編集できる機能を開発中との噂」
http://www.gizmodo.jp/2013/12/twitter_38.html
今まで、Twitterでツイート投稿した後、「あ、URL間違えた!」とか「タイプミスした!」となった場合でもツイート後に「文章を編集」することはできず、「削除」する以外に方法は無かった。
いよいよ、Twitterがツイート編集機能を開発し、ツイートの編集ができるようになるようである?
という話。
私も、いちTiwtterユーザーだけど、正直な所、あまり編集機能に興味がない。
Twitterで、大した内容をツイートしているわけでもなく、多少の誤植や間違いもそんなに気にしないし、削除機能で足りる。
何百文字、何千文字と書くブログと違って、たった140文字程度なら再投稿だって容易いしね。
なので、このニュース記事内容には、ほとんど興味が無かったりする。
とか言いながら、なんでこの記事について文章書いてるのか?
それは、私にとって、この記事が「もの凄く大切」だから。
なんか、矛盾したこと書いていますね・・・。
いや、「たかだかTwitterの編集機能」についてとりあげた記事の中身なんて正直どうでもよかったり・・・。
ニュースの中身ではなくて、「たかだか編集機能がニュースになる」って事が重要だな〜、と思ったわけです。
Twitterユーザーさんからすると「たかだか編集機能」なんです。
その機能が必要な人に取っては、「編集機能くらいすぐできるだろ、さっさとつけろやー」という話です。
いちTwitterユーザーの私からしても「たかだか編集機能」。
しかし、この「たかだか編集機能を開発中であること」がニュースになるというのは、「たかだか編集機能」はニュースになるくらい大きな開発であり、大きなコストがかかっている事が伝わって来ます。
そう。
私も、エンジニアである私も、ついつい「ユーザー視点」でこの記事を読み、「そんなんさっさとつければええやん。」と思ってしまったわけで。
エンジニアでも、ふと気を抜くとそう思ってしまうという事は、一般ユーザーさんにとっては、やはり「たかだか編集機能」。
でも、ちゃんとエンジニア視点にすれば、決して「たかだか編集機能」ではないと考えるのが、ごくごく当然の事。
編集機能を追加するのに、一般ユーザーさんが想像するよりは遥かに大変な労力とコストがかかっている事が、容易に理解出来る。
ニュースになるくらい、たかだか編集機能の追加は大きな開発なのである。
受託開発をしていると、納期前になって「あ、そうだ、ここちょっと編集できるようにしておいてよ。」なんていう注文は、日常茶飯事。
しかし、その「ここちょっと編集できるようにしておいてよ。」が、案外大変なのだが、その意識をユーザーさん(クライアントさん)と共通意識を持つのは難しい。
なぜなら、エンジニアの私でも、ユーザー気分の時は「たかだか編集機能」と思っているわけで。
いわんをや、ユーザーさんにはなかなか理解できない話なのは当然。
ユーザーさんは全然悪くないのである。
(この無理解をユーザー(クライアント)さんのせいにするエンジニアをしばしば目にするが、それは大きな勘違いだと思う。)
けれども、頑然として、誰のせいでもなく、存在する「不幸な溝」をどうやって埋めるか、もしくは橋を架けるのか、もしくは、もう溝をとびこえてあっちにいっちゃうか、毎回考えさせられるテーマである。
エンジニアはITスキルだけ無く、コミュニケーション能力が求められるゆえんはこの辺りにもあるんだよね。
これは、ITエンジニアだけではない、いろんな分野のエンジニアさんが、ディスコミュニケーションによって、本来評価されるべきものが評価されていないのかもしれない。
日本が、いわゆる「文系国家」と言われてしまう所以かな?
そんな事を、ふと再考させてくれるニュース記事だった。
「たかだか編集機能」「されど編集機能」
かなり奥が深い世界なのである。