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新・ギリシャ神話「ミダス王のシステム開発」

ビジネス界では有名?ミダスタッチ(マイダスタッチ)

つい先日、「ミダスタッチ(マイダスタッチ)」という言葉を初めて知った。

「ミダスタッチ」というのは有名なギリシャ神話の一つ。
「王様の耳はロバの耳」の中で出てくるロバの耳を持つ王様は「ミダス王」と呼ばれているが、この「ミダスタッチ(King Midas and Golden Touch)」という神話の主人公も「ミダス王」である。
つまり、ロバの耳の王様と同一人物である。

ミダスタッチは「ミダス王がタッチ(接触・触れる)する」ことに神話名は由来する。

そして、この「ミダスタッチ」という言葉は、海外でのビジネスの場や投資家などでは時折耳にする有名な言葉らしい。
錬金術」というような意味合いで。
(私は知らなかった。)

初めにこのミダスタッチ神話を読んだ感想は、
「ふーん、まぁよくある神話。昔話あるあるだよね。」くらいに思ったのだが、
もう一度読んでみると「システム開発」や「サービス開発」について重要な示唆があるのではないかと感じた。
特に、クライアント(もしくは社内の営業さん)など「非開発者」とやり取りする際に「考えてほしい逸話」もしくは「共有するとよい意識」として使えそうだと思った。

なので、是非共有したく。

ということで、このギリシャ神話がどういう神話なのかまずは原典をサラッと流してみる。
(端折ったり意訳もあり。)

ギリシャ神話「ミダスタッチ」

昔々、あるところに「ディオニュソス(バッカス)」という神様がいた。

ある日、ディオニュソスの「師匠」が困っていたところを、ミダス王が助ける。
ディオニュソスは、師匠を助けてくれたお礼にどんな願いも一つ叶えようと申し出る。

そこで、ミダス王は「触るものをすべて黄金に変える力が欲しい」と言う。

ディオニュソスは少し戸惑ったが、ミダス王の願いを叶えることにした。
そして、ミダス王は「ミダスタッチ」と呼ばれる「触れるものすべてを黄金に変える力」を手に入れる。

この素晴らしい力を手に入れたミダス王は早速この力を試してみたくなる。

まずは、目の前の木の枝を触ってみる。
すると、木の枝が黄金に変わった!
木にリンゴの実が成っていたので、リンゴをもぎ取ってみる。
すると、リンゴが黄金に変わった!
素晴らしい力を手に入れたミダス王。

強力な力を手に入れて大喜びな王様は、早速お城に帰り「今宵は大宴会だ!」と言い盛大な祝賀会を行う。

ミダス王は嬉々として、最高級の食事を用意させ、まずはパンを食べようとする。
しかし、パンに触れると・・・パンが黄金に変わった。
なるほど、手で触れてしまってはすべてが黄金に変わるので、今度はおいしそうなチキンを手を使わずに口だけで食べようとする。
すると、ミダス王の唇に触れたチキンは黄金に変わる。
ミダス王は、せめて喉を潤したいと思い、ワインを飲もうとする。
しかし、ワインも口に含んだとたんに黄金に変わる。

「触るものすべてを黄金に変える」という「すごい力」を手に入れたにもかかわらず、
文字通り「すべてのものが黄金に変わって」しまい、ミダス王は飲み食いすらできず衰弱していく。

飢餓に耐えかねたミダス王は、ディオニュソスにもう一度お願いをする。
「触るものすべてを黄金に変えるこの力を消してくれ」と。
ディオニュソスは、「分かった。ならば、ある川に行き身を清めよ。川の水が能力を洗い流してくれる。」と。

ミダス王はディオニュソスの指示通りの川に行き身を清め、ようやく黄金の力を取り去ることができた。

以上、ミダスタッチの物語。
その後、神話は「王様の耳はロバの耳」物語へとつながっていくのだけど、それは割愛。

ミダスタッチの意味するところ

この神話からどのような教訓を感じ取るか?

おそらく、一般的な教訓としては

人間の欲望には際限がなく、そして際限のない欲望は身を亡ぼす。

ということだろうと思う。(私の第一印象)

神話や昔話では、非常によくある教訓である。

ただ、よく読んでみると、IT技術者(エンジニア)の私はこの「ミダスタッチ」はシステム開発やサービス開発などにおいて非常に重要な示唆を含んでいるのではないかと思った。

そこで、ミダスタッチ神話をシステム開発あるあるにアレンジしてみた。

ミダスタッチ・システム開発あるあるver

ある日、クライアント(ミダス)が言った。
触るものすべてを黄金に変える機能(ミダスタッチ)が欲しい」と。

エンジニア「可能です。ですが、もっと時間をかけて丁寧に要件・仕様を詰める必要があります。」
クライアント「なんでそんなに細かいところまでいちいち詰めなきゃいけないんだ、私が欲しいのはミダスタッチだけ。」
エンジニア「できます。が、基本機能だけでは、きっと色々と困ること(例外など)も出てきます。」
クライアント「単にミダスタッチが欲しいだけ。例外のために丁寧に要件を詰めていくなんて煩わしい。一刻もはやくミダスタッチを。」

かくして、エンジニアはクライアントの意向に従い「触るものすべてを黄金に変える機能」を開発した。
エンジニアがシステムを納品すると、クライアントは大喜び。

そして、クライアントは早速機能を試す。

クライアント「すばらしい!木の枝が黄金に変わった。これだこれが欲しかったんだ!」
クライアントは、大喜びで次々とミダスタッチを試す。

しかし・・・。

クライアント「ちょっと待て、なんでパンが食べたいだけなのに、パンが黄金になるんだ!『食べ物』が黄金に変化するのは大問題だからすぐに修正して!」
エンジニア「いや、触るもの『すべて』を黄金に変える機能なので当然ですが・・・」
クライアント「ちょっと待て、なんでチキンが唇に触れただけで黄金になるんだ!?私が求めているのは『手で触れた場合だけ』。手以外に触れた場合は黄金にならないようにすぐに直して!」
エンジニア「いや、『触れる』という要件定義しかしていないので・・・。」
クライアント「ちょっと待て、なんでワインという『液体』まで黄金になるんだ!液体まで黄金にして欲しいとは頼んでいない!
エンジニア「いや、『触れるものすべて』という要件に沿って開発したので当然なのですが・・・。要望通りのものです。もし、細かい例外を設けたいのであれば、しっかりと仕様を詰める必要がありまして。」
クライアント「ええーい、煩わしい。そんなのはお前が自分で考えて『いい感じ』に決めて。」
エンジニア「その『いい感じ』にするために、丁寧に仕様を詰める必要がありまして。そのためには私の考えだけでなくクライアントさんの考えが必要で・・・」

クライアント「ミダスタッチ全然使えねー。せっかくコストかけて作ったのに!」

ミダスタッチが共有されたら

私個人的には、昔このような状況になることも多少経験しているが、今は幸いにして当たることがなくなって久しい。
(自分の身の回りの理解あるクライアントさんには感謝しかない。)
もしかすると、エンジニア側にもクライアント側にも「きちんと対話していくことの大切さ」「システム開発は一方的なオーダーではなく、一緒に作るもの」という感覚が徐々に広がってきているおかげかもしれない。
(個人的にも強く対話を求めるが・・・)

が、自分自身は経験しなくなったとはいえ、おそらく世の中にこういったやり取りはまだまだたくさん存在しているのではないかと思う。
(ですよね?)

そういった場合、このミダスタッチのギリシャ神話についてクライアントさん(もしくは自社の営業さん)に話してみてはどうだろうか。

パンは黄金に変えますか?
唇に触れたら黄金にしますか?
ワインも黄金にしますか?
「触るものすべてを黄金に変える」というだけの要件では、満足いくモノは得られないかもです。

またクライアントサイドも、この逸話を思い出すことで

「本当に自分が欲しいモノ」を作るためには、しっかりとエンジニアサイドと対話し協力していく必要がある

と思えるのではないだろうか。
パンはどうしよう?ワインはどうしよう?と考えることで、きっと経営のコアバリューやサービスのUXについて深く考える良い機会やきっかけにもなるんじゃないかなと思います。
(UXデザインってそういうことですよね。)

※他にもデザイナーさんなど対話が重要なクライアントワークでは活躍する逸話かも。
(自分もミダスタッチでオーダーしているかもしれない。自戒。)

どちらサイドにしろ、

あ、それはミダスタッチかもですねー。もう少し丁寧に考えましょうか!

とお互いに言えて理解し合えると、システム開発はもっと幸せなものになり、価値あるものを生み出せるようになるのではないかなと思ったり。

少なくとも、ミダスタッチが少し共有されることで、クライアントワークが少し幸せなものになったのなら不遇なミダス王もきっと喜ぶに違いない。

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ユニクロ柳井正さんによる「経営の根本」を知る本

すごく久々にビジネス書

フリーランスの共同体でゆるくやっていたプロジェクトが思いのほかビジネスとして需要があって、色々な会社さんからお声がけをいただくようになったため法人化した。
そんな法人化を私達以上に喜んでくださった人生の大先輩から「これを読んでおくように」とプレゼントされたものが、ユニクロで有名な柳井さんの著書「経営者になるためのノート」。

2015年に出版されてからベストセラーかつ長年愛されているロングセラーな「経営者向けのバイブル」らしい。
(Amazonでもベストセラーになっている)

しかし、正直言うと、20代前半くらいはこういうビジネス書をありがたがって貪るようにたくさん読んだけど、色々と読んでいるうちに結局言いたい事はどれもこれも似たり寄ったりだったり、精神論ばかりだったりしてそのうちほとんど読まないようになってしまって久しい。

とはいえ、尊敬する大先輩から頂いた大切な書籍なので、プレゼントされた翌日にとりあえず「目次」くらいは目を通しておくかと、何の期待もなくパラパラとめくり始める。(すみません・・・)

目次をザッと眺めながら思った。
「個人事業主(フリーランス)や小さな会社とはいえ、曲がりなりにも『自分で経営』をやってきて、これまでの『経験』として自分で獲得してきたものが、この本の目次に網羅されている。」

一介の名も無き人間としては、非常に傲慢な言い方かもしれないけど。
もしかしてビジネス界の巨人「柳井」さんの考えと私のこれまで培ってきた考え方は共通するのではないかと直感し、「答え合わせ」をしなたくなりしっかりと読み始めることとなる。
(もしくは、違う答えを求めて・・・。)

そもそも「経営」とは何なのか

「経営」とは実行である。

「経営者」とは何か「経営」とは何かを本書の冒頭で一言で表現されている。

経営者とは成果をあげる人である
経営とは実行である

確かに最近はMBA等含め「経営を科学」する学問はたくさんあり、研究・分析も進んでいる。
しかし、これらのビジネス理論を身に着けても、実行ができない人は非常に多くいる。
(というか、実行できない人のほうが多いのではないのだろうか?)

私の大好きな言葉に、
道を知ることと道を行くことは全く違う
という言葉がある。
ハリウッド映画「Matrix(マトリックス)」の救世主ネオの師匠モーフィアスの言葉である。

もちろん道を知ることはとても大事でありそれをおろそかにしてはいけないのは当然。
しかし、道を知ったところで実際に道を進んで行くためには「道の知識」とは全く別の知識・技術・気力・体力・経験が必要だったりする。
(どれだけ経営分析や企画が上手くても、実際にチームを動かせるかどうかはまた別のスキルが必要とされるように)

この本は、「道を知る」ための本ではなく、「道を進む」ための「柳井さんの経験知」が共有された書籍だと感じた。

そして、柳井さんはこの「経営に必要な力」を大きく4つにカテゴライズしてそれぞれの力について解説。

  • 「変革する力」(イノベーターの顔)
  • 「儲ける力」(商売人の顔)
  • 「チームを作る力」(リーダーの顔)
  • 「理想を追求する力」(使命感に生きるものの顔)

おそらく、最近のスタートアップやベンチャー経営者などは、否が応でも(すぐにでも)これら4つの力を求められているのではないだろうか。
(ベンチャーキャピタルや投資ファンドなどは経営者のこの辺りをしっかり見ているのではないかと思う。)
そして、時代の変化が非常に速い昨今、大手企業においても経営層(主要社員にも)にこの4つの力が必要な時代に入っているかと思う。

以下、復習と自戒のために、本書の目次と対応するキーセンテンスのみを拾いあげてみる。
(キーセンテンスだけだからサッと要点を見返すには最適。自分の主観はあまり入れず、全体を書き出してみた。)
ちなみに、こういう書籍は「その結論に至る理由」がかなり重要であって「なぜそうなのか理解・納得することが大切」なので、理由付けもちゃんと拾うべきなんだけど、流石に全部書き出せないので理由は端折って結論だけ羅列した。
(理由を知るためには本書を購入すべし)

変革する力

目標を高く持つ

イノベーションを起こすためには、高い(非常識な)目標を掲げそれに挑戦することで顧客が創造される。

常識を疑う。常識にとらわれない

会社の成長を妨げる最大の敵。それは「常識」。
業界は過去、顧客は未来、ライバルではなく顧客に集中する。そのためには常識(過去の遺物)に囚われていては顧客(未来)は創造できない。

基準を高く持ち、妥協とあきらめをしないで追求する

仕事の基準を高く持つこと。特に「質に対する意識」。
「自分なりの基準」では意味がなく、「お客様が本当に喜んでくださる基準」である必要。

リスクを恐れず実行し、失敗したらまた立ち向かう

安定思考で安定成長している会社は無い。
リスクを取る会社は「現実を直視していない」と揶揄されがちだた、安定志向の方がよほど現実を直視していない。

厳しく要求し、確信をついた質問をする

通常、普通に雇われて働いている人に「顧客を創造する」という概念はない。
だから、顧客の創造を考えてもらうような質問をきちんと投げかける必要がある。

自問自答する

「自分はできている」と思わないようにする、そして、自問自答を続ける者にだけ優れたアイデアが生まれる。
アイデアは突如として閃くものではない、真剣かつ日常的な自問自答のプロセスからしか生まれない。

上を目指して学び続ける

経営者は「実行」に活かしてこそ学びの意義がある。
「実行」に結び付けないと意味がない、そして実行を通じてまた学ぶ。

儲ける力

お客様を喜ばせたいと腹の底から思う。
MBAの教科書には「会社は誰のためにある?」という問に対して「株主のため」と書いているだろうが、そうではなく、会社は「お客様のため」である。

あたり前のことを徹底して積み重ねる

地道なことを徹底してやる。当たり前なことを当たり前に実行してこそ、日常にある課題が見え未来に繋がる。

スピード実行

スピードの重要性がますます高まっている現代、タイミングがズレたら優れたアイデアもすぐに紙くず同然。
「すぐやる、必ずやる、できるまでやる。」

現場・現物・現実

頭の中だけで経営はできない。
分析した数値だけに頼って指示を出すのではなく、現場・現物・現実に入り一緒になって解決する。

集中する

市場は自信がないものを簡単に見抜く。
自信があるものに集中し、中途半端なものは捨てる勇気。

矛盾と戦う

「できない」ではなく矛盾と戦って、何とか解決策を見出す。そこに素人ではないプロとしての「付加価値」が生まれる。

準備する。しかし固執するのは計画ではなく、成果である

成功がイメージできるまで考え抜くこと。ただし、計画に陶酔し計画に固執するのは本末転倒。

チームを作る力

信頼関係を作る

経営は1人では出来ないチームで行うもの。
チームで大切なのは信頼。
信頼関係の基本のキは、「言行一致」と「首尾一貫」である。

全身全霊。100パーセント全人格をかけて部下と向き合う

部下や仲間が納得するまで100%全力で関与する。

目標を共有し、一人ひとりの責任を明確にする

目標の共有はしつこいくらいに。
「1日のうち何回も会社が目指す方向について話して、自分自信で嫌になった」by ジャック・ウェルチ
名経営者ですら目標共有に心血を注ぐ。

任せて、評価する

自分の仕事だと思ったとき、人は頑張る。

期待し、長所を活かす

期待をすることは、メンバーに成果を要求する人の義務であり責任。

多様性を積極的に肯定する

当たり前だが人間は1人1人違う。
日本人は違いを受け止めるのではなく、排除する方向に行きがち。
人は個性だけではなく、それぞれ今ある事情も違うということに心を配る。

勝ちたいと誰よりも強く思い、自己変革を続ける

メンバーを鼓舞する前に、リーダー自身が先頭に立って挑戦することが重要。

理想を追求する力

経営者にとっての使命感

社会から認められている会社はしっかりとした使命感に基づいて経営されている。

あるべき使命感

社会に貢献できる企業だけが生き残っている。

ファーストリテイリングの使命と、心に留めてほしいこと

ファーストリテイリングは、すべてをお客様都合で考える経営。

使命感がもたらしてくれるもの

使命感があれば、1章から3章に示したものを自然な形で行動化できる。

使命感の実現を脅かすものと戦う

自己都合、強者の論理、横並び、マニュアル思考、官僚主義などを招かないためにも使命感は意識的にマネジメントする必要。

危機に際しての経営者の行動

危機を想定しておく。

理想企業を目指して、人生と対決するように生きる

理想や未来への希望を強く持って経営してほしい。

最後に

以上、「経営者になるためのノート」の各項目の結論だけをメモした。
おそらく色々な見方があると思う。
特にこう言った本は、自分が置かれた立場で大きく見方も評価も変わるもの。
経営や起業などをした事がない方にとっては、「立派な事を言っているけど理想論に過ぎないよね」とか「リアルな感覚としてはよく分かんないな」と言う感じだろうか。
「駆け出し経営者」だと、「今まさにそこで壁に当たってた」「やはりここはそうだよね、迷いが確信に変わった」という感想を持つだろうか。
「ベテラン経営者」なら、「書いていることの9割以上当たり前でしょ」という感じかもしれない。

また5年後開いてみようと思う。

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子育てママ vs サラリーマン、そして正義の味方?

土曜日の午後。

京都から大阪方面へ向う用事があり、電車で大阪方面へ向う事に。
駅で梅田(大阪)方面行きの電車を、乗車列に並んで待っていた。

私が並んでいた乗降口では、私とスーツを来た若いサラリーマン風男性の二人。
ほどなくして梅田行き電車が入って来て電車に乗り込むと、車内は意外と混んでて座れそうもなく、
長い横一列の座席シートの前の吊革を持って立つ。

若いスーツの男性も私とは離れた場所で吊革を持って立っていた。

とりあえず、電車に揺られながらイヤホンを取り出してiPhoneでポッドキャストを流し聞きしていると、
左側の遠くの視界に子供が楽しそうにしている光景が入ってくる。

小さな男の子(3歳くらいだろうか)が、座席の上に立って楽しそうにお外を見ながら、色んなモノを指差してなんか言ってる。
お母さんは、子供の座席の前で吊革を持って立っている。

私:「見える光景全部が新鮮で楽しいんだろうな。かわいいな〜。」

ふと目をやると、子供ちゃんの隣には若いお姉さん(20代半ばくらい?)が座席に座っていた。
白いスカートを履いて、ちゃんとおめかし(言葉古いな)してる。

私:「おしゃれしてるな、今から梅田でデートかな。」

そんな事を思いつつ、そのままポッドキャストの番組を聞き続けていると、
子供ちゃんの「お外の世界の楽しさ」が最高潮に達してきたようで、いよいよ座席の上で飛び跳ねたりしはじめた。

私:「まぁ、無邪気で元気でいいわな。」

そうこうしているうちに、時々子供ちゃんの足が隣のお姉さんに当たり始める。
そして、よくよく見ると子供ちゃんは靴を履いたままだ。

お姉さんは、時々子供ちゃんの靴で踏まれちゃってる。

しかし、お母さんは知らないふり。

私は遠目に、お姉さんの白いスカートが汚れないか少し心配になる。

お姉さんも子供の事だから何も言えないのだろうか、子供ちゃんがぶつかってきても笑顔を心がけようとはしている・・・が、どうしても苦い顔になっちゃってる。

そんな中、もう1人、同じように明らかに苦い顔をしている人に気がついた。
私と一緒に電車に乗り込んだ若いスーツの男性。
お姉さんの近くの吊革を持って立っていたが、ときどき子供ちゃんのお母さんに鋭い視線を向けている。

明らかに注意もせず放置しているお母さんにイライラしている感情が男性の表情から伝わってくる。

私(遠目に):「なんかあの辺、ちょっと雰囲気悪い感じになってきたな・・・。」

と思いつつ数分が経ち、途中駅に電車は停車。
「梅田デートなんじゃないかな?」と思っていた白いスカートのお姉さん、停車駅で物凄いスピードで降りていった。

私:「梅田までまだ何駅もあるけど、本当にココが目的地だったのかな・・・。」

電車がまた動きだし、子供ちゃんの隣の席は空いたまま。
しばらく誰も座ろうとしなかったが、突如として例の若いスーツの男性がその席にドカっと座る。
まるで何か言いたげな座り方だ。

もちろん子供ちゃんはお外の世界がまだまだ楽しい。
目に入る家々、看板、公園なんでも楽しいのだろう。
嬉々として飛び跳ねている。

そんな中、隣に座ったスーツ男性にも子供ちゃんの手や足が当たり始める。

私:「おっと、これは不穏かも・・・。」

スーツ男性はどうするんだろうか、と思って見ていると、スーツ男性は子供ちゃんが当たってきたら押し返した(一応やんわりと)。

私:「いや、気持ちは分かるけど、、、そこは言葉にしてあげたほうがいいんじゃなかな・・・・」

それを見た子供ちゃんママが何かを察したらしく、動く。
座席に立っている子供ちゃんとスーツ男性の間に無理やり自分が座って、子供ちゃんを守るママ。
大切な息子を抱きかかえて自分の身を挺してスーツ男性と子供の間を取る。

そして、ママは横に置いていたベビーカーを自分の元にたぐり寄せ防衛体制を整える。

その時、ベビーカーがスーツ男性の足を踏む。

スーツ男性はイラッと来たのか、ママを少しだけ押し返す。
ママは睨み返しながら、負けじと押し返す。
スーツ男性も負けじと押し返す。
ママはまた睨み返し押し返す。

私:「かなり嫌な感じになってきた・・・。車内の雰囲気も悪くなってきた。」

これどうすべき?やっぱり仲裁したほうがいい?
とは言え、私は少し遠い位置にいる。
火花がバチバチ散っている場所の周りには吊革持って立っている乗客も結構いるし、もう少ししたら誰か仲裁するのか?
遠目とは言え、もはや聞いてるポッドキャストの内容なんて全く頭に入ってこない。

そんな攻防がずっと続いたまま、次の停車駅で電車が止まる。

駅では降りる人は1人もいなかったが、1人だけ60代くらいのおじさんが乗ってきた。

そのおじさんは、両手にパンパンに膨れたスーパーの袋を持っている。

しかし、パンパンになっている両手のスーパーの袋をよく見てみると、空き缶・空箱などが一杯詰まっている。
と言うか、空き缶・空ペットボトル・空箱などしか入っていない、明らかに全てがゴミである。

「袋パンパンのゴミを両手に持った謎おじさんの登場。」

私:「いや、この状況に登場するにはキャラ強すぎる・・・」

そして、ゴミおじさんは、あろうことか「ママvsスーツ男性の攻防エリア」の目の前に立ってしまった。
電車出発。

私:「ああ、地獄・・・。」

もちろん、ママとスーツ男性の攻防戦はまだ続いている。
当然、目の前に立ったゴミおじさんはその攻防戦に気が付き始める。

攻防を見ていたゴミおじさんは、明らかに顔に苛立ちが滲み出始める。

そして、ゴミおじさん発火。
両手の大量のゴミをスーツ男の顔の前に持ってきたり、わざと男の足に当てたりしはじめた。

スーツ男性はママと押し合いをしつつ、ゴミおじさんからも攻撃を受ける。
おそらくゴミおじさんから見ると、スーツの男は、子育て中のママの大変さも理解せず優しくできない不届き者。
(実際はどういう動機かは私には分からないが、あのタイミングで電車に乗ってきたら確実にそうにしか見えないだろう。)
確実にママの援護であろう。

しかし、ゴミおじさんのゴミ攻撃が時々ママにも届いてしまいママもちょっと困惑。

こうして三つ巴の攻防が始まってしまう。

もはや、誰が正しく誰が間違っているのかすら分からない状態。
おそらく、それぞれがそれぞれの善悪の理屈を持って動く。
それぞれの正義と正義のぶつかり合い。
完全なカオス・・・。

そして、カオスとなった三つ巴の静かな攻防を見ていられなくなってきた辺りで、私は目的地に着いた。

まだ続く正義の火花を後ろに、後ろ髪ひかれる思いで降りて行く(何かできたのではないか)。

結局、それぞれの使命を賭けた聖戦を最後まで見届けることは出来なかった。
その後、物事は何か良い方向に動いたのであろうか。
降りた後も割り切れない気持ちがずっと続く。

一体、何が良くて何が悪かったのか。

ただ一点、はっきりした疑いのない事実はある。

私もあのシーンにおける「途中乗車の人間」ってことだけは。

(「まぁまぁ」とやんわり声かけくらいしておけば良かったな〜。)

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