スペシャリストか、ゼネラリストか。もしくは・・・。

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私は、がっつりエンジニアリング(ソフトウェア開発)を生業として、毎日プログラミングをしている。自分はプログラマーだと思っている。
技術情報も抜け目なく追っている。

が、反面・・・、コンサルティングやプランナーとしても仕事をさせてもらっていて、マーケティングやブランディングの勉強(インプット・アウトプット)もそれなりに行っている。

しかし、やはり、いい歳になってくると、「色々とやる」ってのは非常に大変なので、「どちらかに振り切る」という決断(「選択と集中」と呼んだほうがいいのか)が必要なのではないか、と常々思っている。

だた、どちらかの仕事が苦痛だったら、割と軽く決断できるんだけど、どちらの仕事も「楽しい」ので、辞められない。

実に、たちが悪い。

そんなときに、「ジェネラリスト」というタイトルを持つ本書に惹かれた。

「知性を磨く 『スーパージェネラリスト』の時代」(著:田坂 広志)。

Amazonの評価も高く、書店でも平積み。いつもながら、ミーハーな私にはうってつけの新書。

帯には、「なぜ、高学歴の人物が、深い知性を感じさせないのか?」という実に挑戦的なタイトルが書かれ、「ジェネラリスト」というキーワード以上に興味をそそられて購入してしまった。

まさに、「してしまった。」
(なぜ、そう言う言い回しをするのかは、後で書く。)

本著者の田坂さんは、実に高名な方で、2011年には内閣官房参与にも就任しており著書も非常に多数持っていらっしゃる方なんだけど、私は田坂さんの本を手に取るのは初めて。

近年、どちらかというと「スペシャリスト指向(専門家指向)」が叫ばれる事が多い。
そもそも、大企業は、スペシャリストよりも「企業内ゼネラリスト」を育てて来た経緯があり、もともとゼネラリスト指向だったけれども、業績悪化やリストラなど「近年の大企業も安泰ではないこの時代」には、従業員は自分のスペシャリティー(専門性)を磨いて、「まさかの事態」に備えるようにしておくべき、との啓蒙書は多い。

そんな時代に逆行するかのように、なぜゼネラリストなのか?

本書は、前半で「知性」というものの本質を語り、後半で時代は「スーパージェネラリスト」と呼ばれる人物を求めている、と語りかける。

自分のアウトプットの為に本書の要点をいきなりまとめてみる。

ー「知性」とは何か。

知性を知る前に、「知能」というものを知る必要がある。

『知能』とは、『答えの有る問い』に対して、早く正しい答えを見出す能力

対して、知性とは。

『知性』とは、『答えのない問い』に対して、その問いを、問い続ける能力

当然、今の大学受験は「知能」を測っているだけであり、「知性」は全く測っていない。
なので、学歴と知性は無関係である。とのこと。

さらに悪い事に、「知能」が高いと、「知性」を台無しにする可能性が高い。
それはどういう事かというと、「高度な知能」は正しい答えを求めるため、「答えのない問い」を突きつけられると、「割り切り」という行為で二分法的に答えを導いてしまい、「深く問う」という「知性」の動きを封じ込め、台無しにしてしまう。

コレが、帯に書いた「なぜ、高学歴の人物が深い知性を感じさせないのか?」という解だ、と著者は言う。

ー「知識」と「智慧」の違い。

「知識」を学んで「智慧」を掴んだと錯覚する病。

本来「智慧」というものは「経験」からしか学べないし、得る事ができない。
しかし、従来の「知識偏重教育」のおかげで、「知識」を学んだだけで「価値ある智慧」を得たと勘違いする社会的病理がある。

巷には、プロフェッショナル論やビジネス書が溢れかえっており、様々なビジネスセミナーが連日行われているにもかかわらず、本当のプロフェッショナルになる人物は少ない。
自ら歳月をかけて、同じ経験を積み、その智慧を獲得して行くのではなく、数冊の本を読んだり、セミナーで「知識を学んだ」だけで、「智慧」をも掴もうとする「安直な精神」がさらに「知性なきもの」にしていく。

などなど。

これが、前半の要旨。

そういえば、この前読んだ、茶道のお家元さんが書いた茶の湯の道を解説した本にも同じ事が書いていたのを思い出す・・・。
「知識として頭には入っても、経験に基づいた知恵として身に付かない。型に身をはめて繰り返していくなかで、はじめてパーンと気づいたものしか、本当の意味で「わかった」という事にはならない。」
(参考:「茶の湯」の世界から、本質を学ぶ。

さて、後半から、スーパージェネラリストの話が始まる。

ースーパージェネラリストがなぜ必要なのか。

基本的には「問題解決は総合力」である。
特に、問題が大きくなればなるほど、問題解決には総合力が必要となってくる。
しかし、現代は、あまりにも専門性・分業化が進みすぎていて、実は「専門家(スペシャリスト)」と呼ばれる人間には、総合的な問題解決能力が無くなってしまっている。

そこで、
「様々な専門分野を、その境界を越えて水平統合するだけでなく、垂直統合する知性を持った人材」が時代に求められており、そういう人材をスーパージェネラリストと呼び、必要とされている。

ースーパージェネラリストとは。

「思想」「ビジョン」「志」「戦略」「戦術」「技術」「人間力」
この7つのレベルの思考を兼ねそろえた人物・・・。
それが、時代が求める「スーパージェネラリスト」。

この辺りから、正直、本書を読む気力を徐々に失って行く。
まず、「7つのレベル」が必要だとする論拠がかなり乏しい。
なぜ、「その7つが必要なのか?」が本書にはほとんど書かれていない・・・。

さらに、7つのレベルの思考を、一つづつ紐解いて行き、その思考の獲得方法を解説するのだが、肝心なところや具体的なところは、「著者が以前書いた本を読め」とほとんど締められてしまい、一つ一つの解説もかなり中途半端に終わらせている。

もちろん、一つ一つについて、一冊づつ過去の著書を読んで行けば、理解が進むのかもしれないが、あまりにも宣伝臭いのと、7つのレベルの思考の必要性の論証があまりにも不十分なため、歴代の著書まで手に取ろうという気には全くならなかった。

ということで、前半の知性の解説については、色々と納得しながら読む事ができたが、後半はとんでもなく消化不良で終わった。

ちなみに、本書全体として、改行が多く、行間もたっぷりとっており、約230ページという分量の割に、内容はかなり薄く感じてしまった。

それにも関わらず、Amazonでは高評価を博しているのが、実に不思議。
まぁ、最近の評価システムというのは「アレ」な傾向があるので、ミーハーな私にとっては受難の時代である。

ああ・・・そうか・・・。

・・・ここで、著者の言わんとすることが身に染みるわけか。。。

自ら歳月をかけて、同じ経験を積み、その智慧を獲得して行くのではなく、数冊の本を読んだり、セミナーで「知識を学んだ」だけで、「智慧」をも掴もうとする「安直な精神」が、さらに「知性なきもの」にしていく。

すみません・・・。

どちらにしろ、
この書籍を「ガイド本」という位置づけで読み、田坂さんの過去の著書をいくつも読みあさる興味がある人は、スーパージェネラリストという人材に近づけるのかもしれない。(ま、著者は本を読んだ程度では「智慧」は身に付かないと言っているので、論理的な帰結としては読む必要がないわけだが。)

ただ、一つ確かな事があるとすれば、コレまでの「スペシャリスト(専門家)」とされる深い技量を備えつつも、ゼネラリストのリーダーシップや人間力をも兼ねそろえた「スーパーゼネラリスト」という人材に到達するためには、相当ハードな道のりを覚悟しなければいけないのは当然だろう。

知性を磨く― 「スーパージェネラリスト」の時代 (光文社新書)

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